原因、行動、目的
週末は冬将軍到来で冷え込むそうです。
代打、macchibow旦那です。
原因論とか目的論とか
アドラー心理学の話です。
近年では『嫌われる勇気』という本が大流行して名前は聞いたことがあるという人は多いと思います。
『嫌われる勇気』はアドラーが書いた本ではなく、「アドラー心理学ってこういうことだよ」といった、いわば解説本です。
そのアドラー心理学ってなんだ?
アドラー心理学はざっくりいえば、「人間は社会的な生き物だから、社会に貢献していくことが幸せにつながるよ。」的なものです、か?
私なりの解釈です。浅いですね。
つまり原因論や目的論というのはアドラー心理学における用語だということです。
原因論のよくある話
ドラマとかでも見かける男女のシーン。
「私は両親が不仲で離婚した家庭で育った。だから私は幸せな家庭を築けないので結婚はしない。」
聞いたことあるようなセリフですし、原因論の例題としてよく見かけます。
「両親が不仲な家庭で育った」原因から「結婚はしない」という行動をとる、ということです。
目的に沿った行動をとる
「人は目的があって、その目的に沿った行動をとる」というのが目的論です。
つまり先の例でいえば、過去の経験から「失敗したくない」という目的のため、「結婚はしない」という行動をとっている、ということです。
この目的論に納得させられたのは子供のに対する注意の仕方の例でした。
目的論で子供を叱る
子供を叱るときよく声を荒げます。
妻にはいつも「それ(怒鳴るのを)やめてよ」と言われますが、カッとなると中々抑えられるもんでもありません。
私はこの行動について「子供が間違ったことをしたから」という原因があっての行動だと思っていました。
でも上記の目的論の話を聞いて、むしろ「言うことを聞かせたい」という目的があって、その目的を達成するため”不必要な”「怒鳴る」という行動をとっているのか、と気づきました。
「子供が間違ったことをした」という原因から起こる行動の行く先は「間違いを正す」ことで、その目的に沿う場合、「怒鳴る」必要はないわけです。
つまり子供に「間違っているからこんなに怒られるんだよ」はお門違いな論法です。
そんなに怒っているのは結局「怒っている本人の目的」のためです。
間違ったことをした、そしてそれを修正してあげるという目的をしっかり頭に据えた場合、「叱り方」も大きく変わってくると思います。
今日はクリスマス会
幼稚園のクリスマス会です。
以前に幼稚園に併設された教会のクリスマス会の話はしましたが、今日は幼稚園としてのクリスマス会。
毎年(昨年はコロナでしたが)、子供たちが劇や歌などを発表する場となっています。
次女も相当楽しみにしているのか、昨夜は自ら「明日は発表会だから早く寝る」と8時過ぎには寝ていました。
頑張って練習した成果を楽しみにしています。